2025年07月28日
社員が退職するタイミングで、「このマニュアルは自分が作ったから、今後も使っていいですよね?」
そんな“よくある一言”が、企業の知的財産をめぐる深刻なトラブルに発展することがあります。
特に、商品設計、プログラム開発、営業資料の作成などに関わる従業員の成果物には、「職務発明」や「職務著作」といった法的な整理が必要です。
適切な契約書や就業規則がなければ、企業側の知的財産だと思っていたものが、法的には元従業員の権利となってしまうこともあります。
本記事では、中小企業の経営者や法務・総務担当の方に向けて、「退職時の知的財産トラブル」を防ぐために知っておくべき法的ポイントと、弁護士視点での実務対応をわかりやすく解説します。
職務発明と職務著作の違いとは?中小企業が押さえるべき法的基礎
まず押さえておきたいのが、「職務発明」と「職務著作(法人著作)」の違いです。
職務発明とは、従業員が業務上行った発明で、特許法第35条にその根拠が定められています。この条文では、企業が就業規則や契約書に定めることで、発明の権利を譲り受けることができ、その際には相当の対価を支払う義務があるとされています。
詳しくは、特許庁の「職務発明制度の解説」も参考になります。
一方、著作物については、著作権法第15条で「職務著作」という制度が定められており、企業の発意に基づいて従業員が職務上作成した成果物については、最初から企業に著作権が帰属します。
重要なのは、発明は「個人帰属→譲渡」型、著作物は「法人帰属」型という違いです。
特許法
第三十五条
4 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第三十四条の二第二項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する。
著作権法(職務上作成する著作物の著作者)
第十五条 法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
2 法人等の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成するプログラムの著作物の著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
企業が自社の知的財産を守るには、この法的構造を理解したうえで、契約や規定を整備する必要があります。
退職時に揉めやすい「知的財産の帰属」よくあるトラブルと判断基準
「これ、自分で作ったものなので持ち出してもいいですよね?」
退職時のこの一言から、後に知的財産権をめぐる紛争に発展することが少なくありません。
たとえば、エンジニアが設計したシステム、営業が作ったプレゼン資料、広報が作成したカタログなど――いずれも会社の業務の一環として作成されたものであれば、職務発明や職務著作として会社に帰属する可能性が高いといえます。
しかし、以下のような事情があると、帰属が不明確になりやすく、トラブルの火種になります。
・業務指示の範囲が曖昧だった
・成果物の内容が私的活動との境界にある
・就業規則や雇用契約書に知財の取り決めがなかった
・退職時に原データの持ち出しがあった
こうした場合、従業員が退職後に「自分の知的財産だ」と主張し、SNSや別会社で利用してしまうことも。
経済産業省が公表する営業秘密管理指針でも、退職者による情報漏えいは企業にとって深刻なリスクとされています。
知的財産トラブルを防ぐには?就業規則・契約書で明記すべき3つのポイント
企業が知的財産のトラブルを防ぐためには、就業規則・雇用契約・業務委託契約書の整備が不可欠です。特に以下の3点は明文化しておく必要があります。
1、成果物の帰属に関する明記
職務上の発明・著作物は企業に帰属すること、発明については譲渡の対象とし、特許法第35条に基づく「相当の対価」を支払う旨を就業規則または契約書で定めましょう。
2、持ち出し・流用の禁止規定
退職時のデータ返還、成果物の削除、営業秘密の持ち出し禁止など、情報管理に関する具体的ルールを定めておくことも重要です。違反時の制裁も記載しておくことで抑止力になります。
3、外注・委託契約での著作権規定
外部パートナーや業務委託者に業務を依頼する場合も、成果物の著作権が委託元に帰属することを契約書で明記しましょう。雛形を活用する場合でも、事業内容に合わせた修正が必要です。
中小企業向けには、INPIT(知財戦略ポータル)が契約雛形などを提供しており、社内整備の第一歩として活用できます。
まとめ:知的財産のトラブルは、雇用契約と退職管理で防げる
社員が在職中に作成した発明や資料などの成果物は、法的に企業に帰属させることができます。しかしそれは、就業規則や契約書で明確に規定し、退職時の運用をきちんと行っていることが前提です。
特に中小企業や成長企業では、法務体制が手薄なまま、価値ある情報資産が外部に流出するリスクを抱えがちです。
当事務所では、知的財産管理や職務発明制度に詳しい弁護士が、契約書・就業規則の整備、退職対応、トラブル防止策をサポートしています。
「うちの規定、大丈夫かな…?」と感じたら、まずは一度ご相談ください。
【弁護士の一言】
実際にあった相談から本記事を作成しました。実際には、広報や商品説明資料を作成した従業員と、やや険悪な形で退職することになったので、退職合意書に著作権の帰属についていれたほうがよいか?というご質問でした。
もっとも、著作権の対象になるものだとしても、今回ご紹介した「職務著作(著作権法15条)に該当するものでしたので、わざわざ退職合意書に記載して火種をもつ必要がないと説明しました。
特許の発明と、一般的な著作物とで違いがあるのは、特許については、職務上の発明だったとしても、経済的価値が大きく異なるからですね。職務上の発明については、「青色ダイオード裁判」という有名な事件もあり、画期的な発明についてはその分の対価を支払うという制度設計になっています。
一般的な著作物と、工業系の特許まで影響する業種化によっても、どこまで事前の取り決めを厳密に定めるかが変わってくると言えるでしょう。